武田 五一 
1872 – 1938 
日本の建築家
 

関西建築界の父とも言われる日本の建築家。
アール・ヌーボー、セセッションに影響を受け、日本に新しいデザインを紹介した。


略歴

1872 ( 0歳) 広島県生まれ
1894 (22歳) 京都第三高等中学校本科 卒業
1894 (22歳) 帝国大学工科大学造家学科 入学
1897 (25歳) 東京帝国大学工科大学造家学科 卒業
1897 (25歳) 同大大学院に進学
1897 (25歳) 妻木頼黄の旧日本勧業銀行本店の設計補助、伊東忠太と台湾神宮の共同設計
1899 (27歳) 大学院を中退、東大助教授就任、東京高等師範学校講師嘱託、東京美術学校教官
1901 (29歳) 文部省よりヨーロッパ留学、ロンドン・カムデン美術学校、ヨーロッパを巡る(-1903)
1903 (31歳) 帰国、京都高等工芸学校 図案科教授
1904 (32歳) 京都府技師 兼任、平等院鳳凰堂・鹿苑寺金閣 保存
1908 (36歳) 大蔵省臨時建築部技師 兼任、議院建築のため欧米視察
1912 (40歳) パナマ太平洋万国博覧会事務取扱 嘱託
1915 (43歳) 工学博士
1916 (44歳) 法隆寺壁画保存法調査委員 嘱託
1918 (46歳) 名古屋高等工業学校 校長
1920 (48歳) 京都帝国大学建築学科教授(-1932)
1925 (53歳) 大蔵省営繕管財局技師兼任
1929 (57歳) 営繕課長事務取扱、学内建築物造営 関与
1934 (62歳) 法隆寺国宝保存工事事務所長
1938 (65歳) 逝去


書籍

求道学舎再生―集合住宅に甦った武田五一の大正建築
Pen 2009年 12/1号
武田五一の建築標本-近代を語る材料とデザイン
日本の地霊(ゲニウス・ロキ)
武田五一的な装飾の極意: 茶室からアール・ヌーヴォーをめぐる建築意匠

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